この間の台風19号で被災された地域は、どうなっているのでしょう。
家の一部が壊れてしまったお宅も数多いと思われます。
住むことができず避難先で過ごされている方、住むことは出来ても修復が進まない方など、不自由な生活を強いられている方々が大勢いらっしゃると思います。
そう思うと、なに不自由することなく、普段通りの生活を送っている自分が、
なんですか、非常に申し訳なくて本当に。
ボランティアでご奉仕することができればいいのですが、今は寄付が精一杯で
すみません。
今日語ろうとしていることは、被災地で被災者のために働いている人々のことです。
昨日の中日新聞、カルチャーの17面
”大事なものはみえにくい” 哲学者の鷲田氏の記事を一部ご紹介。
「あのとき、だれかに背中にふれて欲しかった・・・。」
震災時の自治体職員たちの労苦は察するに余りある。
避難所への誘導と食料、燃料の調達、住民の安否確認、ご遺体の処置と捜索、
ボランティアの受け入れ、瓦礫の撤去の許諾や立ち合い、さらに役所の
緊急窓口業務もと果てしなくかさむ。
一方で、家族のことを顧みる余裕は全くなかった。
家族には日ごろから、「いざという時は家族のために動けないからね」と言ってきたが、その恐怖と不安を思うと居ても立っても居られない。
みな、公務と家族の間で身を引き裂かれていた。
中には1週間以上、家族と連絡がとれないまま避難所に詰めていた者もいた。
なにか休みなくしていないと身がもたなかったのだろう。
みな自身の消耗に気づかないほどに働いた。
が、職員たちがそれぞれの現場でさらされたのは、
「対応が遅い」「不公平じゃないか」といった、被災住民たちの行き場のない
怒りや悲しみ、底知れない失意や不満から向けられる非難の声だった。
ひたすら頭を下げるほかなかった。
その鬱屈は誰にもこぼすことができなかった。
あの言葉、きっとそんなギリギリの毎日を思い出してのものだったのだろう。
しかし、災害で機能停止したものは、水道や電力、鉄道や道路であれ、決して「当たり前」にあるものではなく、自治体や関連企業の人達の表立つことのない点検や補修や清掃作業に負っている。外国人労働者のそれを含めて。
私たちが日常生活を維持するうえで、もっとも拠り所にしているもの、
当てにしているものは、じつはもっとも見えにくいものである。
大災害のような不測の事態にあっては、「これは私の仕事ではありません」
などとは言っておれない。
記事はこの後も続きますが、これぐらいにさせていただきます。
私は被災地の職員さんらの仕事ぶりをTVで観る度に、大変そうだなと感じてはいましたが、家族のもとへ行けないとか被災者からの非難などが向けられる現実を知りませんでした。
この記事でそのことに気づかされた時、とても気になったのが、被災地職員の心は折れてしまわないかということ。
DATA-BANKより
過労死ライン超えの被災地職員2700人 西日本豪雨で
昨年7月の西日本豪雨で被害の大きかった広島、岡山、愛媛県の46自治体で、同月の時間外労働が過労死ラインの月100時間超だった職員が少なくとも2700人以上いたことが朝日新聞の調査で分かった。
自治体によっては調査対象職員の9割強が基準を超えるなど、過酷な現場環境の一端が明らかになった。
西日本豪雨では、昨年7月6日を中心に被害が広がり、自治体は復旧作業や被災者支援などに追われた。
朝日新聞は被害が大きかった広島、岡山、愛媛の3県と県内で災害救助法が適用された市町村の計46自治体を対象に調査。
その結果、調査対象の3万4542人のうち2768人(約8・0%)が100時間を超えていた。
一昨年7月の3万4853人では104人(約0・3%)にとどまっており、人数は約26・6倍に増加。
この調査の結果を見ると、職員さんの心とからだがおかしくなってしまわないか気がかりです。
東日本大震災でも、まだ完全に復興したわけではなく、今でも人手がほしいという状況です。
ほんとに、オリンピックで浮かれている場合じゃない。
オリンピックに回すようなお金があったら、被災地の復興のためにお金を貯めておくべきです。
人口減少してしていますから、自治体職員だけに多くの仕事を任せてしまうのは
気の毒に思いますし、不可能になりつつあると思います。
自治体職員であっても被災者です。
被災した者同士が動いて不足を補わないと、被災地職員さんが疲弊してしまい、不幸がさらなる不幸を産んでしまいます。