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私は東洋経済オンラインの無料記事を読むことが有るのですが、今回ばかりはとても身につまされる思いです。

私には兄弟がいません。
だから幼い頃から、自分の親の面倒を一人で看なくてはいけないと覚悟してきました。
ちょっと、子供らしくない子供だったんです。(笑)

母親は病気のデパートみたいな人だったので、余計にその思いを強く持っていました。

幸いにも?、10年前に立て続けに両親が他界、覚悟していた親の介護に悩まされることはそんなにありませんでした。


⇧の記事よりチョイス

49歳の慶応大元教授が脳梗塞で陥った「超孤独」
暗転した人生「死ぬのも生きるのも怖い」


慶應大学商学部元教授の渡部和孝氏(49歳)
渡部氏は9月末に大学でのポジションを失ったばかりだった。
2019年に脳梗塞で倒れ、今も言語障害に苦しんでいる。

「経済的な不安の中で、この先どう生きていったらいいかわからない」。
初めて連絡を取った編集者に、渡部氏はそう吐露した。
他に相談できる相手がいないからだ。
突然の病によって、誰にでも起きうる孤立と孤独。救いの手はあるのか。

「研究職を失った悲しさはあるのですが、それ以上に、人生が変わってしまって、今後どうやって生きていったらいいのかわからない不安のほうが大きいです。
今のような状況で、ただ死んでないだけの状態では希望を持てず、かといって自殺する自信もありません。
日々、ぼーっとしたまま、悪いことだけが淡々と起きていくという状態です」

日頃からスポーツクラブで運動し、体調に気をつけた食事を心がけていた。
これまで経済的な不安を感じたことがなかった渡部を今最も悩ませているのが、医療費だ。

渡部は脳梗塞で倒れる6年前、手に力が入らないという症状から「もやもや病」と診断された。
もやもや病は、脳の血管が細くなり言語障害や手足のしびれが起こる難病だ。
脳梗塞はもやもや病の再発が原因とみられる。現在はリハビリテーション病院でリハビリや言語療法を受け続けているが、その費用も不安の種だ。
病院に同行してくれるヘルパーに支払う費用もかさむ。
病院にすら一人で行けないという情けなさに苛まれる。

渡部には同居する78歳の母親がいる。
その母親も2年前に一時入院したことをきっかけに介護が必要な状態になった。
母親のヘルパーとデイケアサービスの支払いは1カ月で20万円ほどかかる。
費用は、年金と貯金を取り崩して賄っている。

介護が必要になった母と、障害を抱えることになった渡部。
2人の暮らしは、たった数年でがらりと変わった。
役所に相談したくても、リハビリ病院で自分の現状を正確に伝えたくても、言語障害のある渡部には言葉を尽くせない。
渡部に寄り添い、代弁する者もいない。

「私は運悪く珍しい病を抱えていますが、突然、経済的に苦しくなることは誰にでもあることを知ってほしい。
自分の現状を少しでも周囲に知ってもらい、何か助けてもらうことができたら……」

渡部のように突然病で倒れ、頼れる人がいない孤立状態は、いつ誰にでも起こり得る。
国際比較で日本は家族以外に頼れる人が少ない。
日本、アメリカ、ドイツ、スウェーデンの4カ国のうち、
同居家族以外に頼れる人として友人や近所の人を挙げた割合は日本が最も低かった。

誰に助けを求めればいいのか。
死の恐怖と生きる恐怖の間で渡部は一人、揺れている。

「元気にスポーツクラブに通っていたのが、今では夢のようです。
今は自炊ができないため体調を考えた食事もできず、運動もしておらず、長くは生きていけないだろうと思います。
いつ起きるかわからない死への恐怖が強くあります。
ですが、長く生きてしまったら確実に金銭的に立ちゆかなくなる。生きるのも怖いんです」

49歳の働き盛りの教授を襲った不幸。
自分でこれまで普通にできていたことができなくなった現実、頼りたくても頼る人がいない境遇、まともに働けなくなり生活不安に襲われている。

私よりも若い人で、日頃から健康に気をつかってきた人なのに・・・。

そういえば私にも心当たりがあります。
私が左足が全く動かせなくなって、神経内科の医師に看てもらっていた時、その医師が私の脳のMRT画像を観て、あなたは年齢にしては細い血管があるから、右半身に違和感や動かしにくいような症状が出たら、すぐに私のところに来るようにと言いました。
要するに、脳梗塞になる可能性が高いということです。
今の所、なんともありませんが、手に力が入らないというのは、最近自覚している症状です。
ちょっと怖くなってきました。

この渡部氏のような境遇に有る人は、増えてきているのではないでしょうか?
病気から陥る生活不安だけでなく、災害から陥る生活不安もありますよね。


⇧の記事よりチョイス

人はどのようにして「貧困」に陥るのか…
日本には震災やコロナ禍で生活が根こそぎ破壊される層が膨大に存在


「新型コロナ災害緊急アクション」(以下、緊急アクション)が結成されたのはコロナ禍が始まってすぐの2020年3月。「反貧困ネットワーク」(私はこの団体の世話人)が呼びかけ、貧困問題に取り組む40ほどの団体によって作られた。
緊急アクションではすぐにメールフォームを立ち上げ。
ネットカフェで寝泊まりしている人々の行き場がなくなることが予想されたからだ。

内訳を見ると、私が現場に入り始めた約20年前とは様相が変わっていることがよくわかる。
まず、メールをくれる約6割が10~30代。
「年越し派遣村」の時は中高年が中心で30代も珍しかったのが、著しく若年化した。
女性も増えた。
年越し派遣村には505人が訪れたのだが、女性はわずか5人で1%。
しかし、コロナ禍ではSOSメールの約2割が女性。
女性の割合は20倍となっている。
メールをくれる人々の状況は、思った以上に深刻だ。

さて、こんな現場に20年近くいて見えてきたのは、
この国では、「何か」があれば生活が根こそぎ破壊される層が膨大に存在するということだ。

リーマンショックという経済危機、東日本大震災という大災害、そしてコロナ禍という感染症の拡大。
そのたびに、住まいを失い路上に放り出されるなど、生活の土台をあまりにも簡単に失ってしまう人々。

「失われた30年」は、このように、個人ではどうにもならない出来事によって人生そのものが破壊されるような層を膨大に生み出してきた。
背景にあるのはやはり雇用の不安定化だろう。


「反貧困ネットワーク」初代事務局長であり、現在は「特定非営利活動法人 全国こども食堂支援センター・むすびえ」理事長である湯浅誠氏は、このような状況について、「溜(た)め」という言葉を使っていた。


意味するところは、
人間関係や貯金、企業の福利厚生、相談できる人や頼れる家族など。
そういうものがある状態を「溜めがある」、ない状態を「溜めがない」と言う。
そうして貧困は、お金がないだけでなく「溜めがない」状態なのだと。


湯浅氏が提唱していたのは貧困に至るまでの「5重の排除」という概念だ。

・家族福祉からの排除。
・教育課程からの排除。
・企業福祉からの排除。
・公的福祉からの排除。
・そして自分自身からの排除。


困ったときに頼れる実家や就職に有利な学歴、また失業保険や生活保護などの社会保障制度などなどから排除された果てに、人は貧困に陥るのだ。



背景にあるのはやはり雇用の不安定化だろう。

この部分、確かにそのとおりに思いますが、
日本では生活水準が底辺にまで陥ると、そこから這い上がる術が何もない。

”セカンドチャンス”というのかな、そういったものを、自民党政権は作ろうとしてこなかったんですよね。

彼らは今の自分の境遇が底辺にあるのは、その人自身の努力が足りないからだという、奇妙な「自己責任」を押し付け、それが当たり前にのように思わせてきた。

そのため、他国には整備されて当たり前の”セカンドチャンス”を与えるような法整備を一切考慮することなく、”生活保護”だけで十分だろうという冷淡な考えで今日まで続いてきたと思う。
正しく、今の日本の幼稚な政治の象徴ですね。


”セーフティーネット(セカンドチャンスなど)”が他の国よりも情けないほど脆弱な日本、
他人との距離を起き、家族以外の者と関わることを避ける傾向の強い日本人。

渡部氏のケースや災害などをきっかけに、あっという間にいとも簡単に生活不安や貧困に陥る。
これは大金持ち以外の誰もが陥る可能性の高いものだ。


実際のところ、私はほとんど「溜めがない」人なので不味いですね。
まぁ私は今の世の中が大嫌いなので、長生きしたいとは露ほど考えませんが、其のときはその時ですかね。

ただ思うのは、他人はもちろんのこと、息子や娘にも頼りたくない。
私は自分が動けなくなったら放っておいて欲しいし、
死んでも二酸化炭素を排出しない方法で、遺体を処理してほしいですね。
例えば、土葬、鳥葬、ゴミとして一緒に焼却しても構わないとさえ思っている人です。

日本では他人が助けてくれるケースはほとんど考えられません。
寄付金にしても、先進国諸国の人よりも寄付をしないことで有名です。

私は身内でさえ助けてくれなかった経験がありますし、親友だと思っていた友達も、些細な事にも関わらず手を差し伸べることはありませんでした。
元夫からも裏切られていますので、実のところ、私は心底日本人に不信感を持っています。
其の点、台湾人は日本人ほど他人に冷淡ではないので、日本人ほどではないかなと。

明日から、他人や子どもたちに迷惑をかけないよう、
脳梗塞にならないようにするにはどうしたら良いか、いろいろ調べて実践しようかと思っています。

# by kamosiya | 2024-03-16 18:06 | ひとり言 | Comments(0)
今日は久しぶりに楽しい話題にしようと考えていたのですが、急遽変更することにしました。

とある記事に反論するためです。

私はただのおばさんですが、
専門家の先生の語ることは、消費者である私達のためというより、メーカーや医療機関のために発言していることの方が圧倒的に多い。
其のため、間違った方向へ誘導されかねません。

前にこのブログで語った、NHKが放送した塩分をほとんど摂らない部族の話でした。
この中で放送には無かった、この部族は普段から牛の血を飲むという事実です。
動物のお肉、動物の血、動物の尿(これは飲食には関係なし)には、ナトリウムイオンが存在する。
これを塩分として換算していない。
この放送を鵜呑みにして、そうかそうか少ない塩分でも大丈夫なんだと考え、それを実践して倒れてしまったなんていうことが起きるかもしれないと、私は非常に心配になりました。

「塩分」は人間が生きていくのに、絶対に必要なものです。
戦争で前線に駆り出された兵士が、食料が尽きても求めたのは、「塩」なのです。



今回私を苛立たせたのは、

「玄米」が悪のように語られていることに、私は大反論したいからです。

それと、「リン酸」が多いものは腎臓に悪いという記事をいくつも拝見しました。
このことにも、私は問いたい。


これまで私は厄介な病気を数々経験してきました。
その私を救ってくれた食べ物は、正しく、「玄米」でした。

「玄米」はリンが多いから腎臓に悪いと。
「玄米」はリンだけではない、足りないのはビタミンCと水溶性食物繊維くらいで、栄養、ミネラルが豊富にあります。
対して、「白米」は、ただのコメの脂肪分にすぎません。
栄養は糠にあるので、ほとんど大事なものを削ぎ落としたもの、
それが「白米」です。

大森一慧氏(食養医学)の純正菜食料理研究家の著作より

この肝腎が弱いということは、今の食べ物に農薬や化学物質、動物性食品による毒素が多いということにほかなりません。
腎臓には主に、精製塩と動物性タンパク質が影響を及ぼしています。
動物性タンパク質は分子が小さいので、アミノ酸にまで分解されないうちに腸壁から吸収され、かえって腎臓の膜をつまらせてしまいます。
また、科学塩はほとんどが塩化ナトリウムですので、ミネラルバランスをくずしてしまうのです。
人というのは、飢餓には強い生理をもっていますが、飽食に対応する術がありません。
食べすぎの世の中では、臓器が疲れ切って機能を回復する間がないのです。


東城百合子氏(自然療法研究科)の著作より

腎臓は血液の浄化という大事な働きをしています。
細胞は常に古いものから新しいものへと新陳代謝しています。
この古いものは老廃物として腎臓から尿として排泄されます。
また、腎臓に入る血液は足から戻る血ですから、足の循環の悪いのが腎臓の働きを悪くするので、足が冷えると腎臓の働きを悪くするので、足が冷えると腎臓の働きも低下します。


東城先生も、大森先生も、「玄米食」を強く勧めています。

穀物を精白しないでまるごと食べるー、
これこそが、体に負担をかけず、脳に十分な栄養を行き渡らせ、病気のもととなる老廃物を残さない食べ方ですと。

腎臓を悪くするとして、次のやり玉になっている「リン」。


完全栄養食である、昔から日本人がずっとありがたく食してきた「玄米」の”リン酸”を摂るなという記事を書く前に、この「リン酸塩」を”悪”だと謳わないところが非常に疑わしいと言わざるを得ません。




過去のブログでも、この食品添加物の「リン酸塩」のことは書いています。
日本の認可されている食品添加物の種類は多すぎます。

ここ台湾でも気になる食品添加物は使われています。
なので、安価な加工食品は買わないようにしています。

私が言いたいのは、安い物の原料に疑問を持つことが大切です。
安いものを買い求め、それを食べ続けて体の調子が悪くなるようなことは、絶対にあってはならない。

例え、それなりの地位にある専門家、有名人の話であっても、それが消費者目線で語る話なのか、メーカーや医療機関が得する(消費者を煽ってモノを買わせる、健康への不安を増幅させる)ことが目的で語る話かどうか、真剣に見極める必要が私達には有ると思います。

「塩分」が”悪”、「糖質」が”悪”、次の標的は「玄米」なんですかね?


# by kamosiya | 2024-03-09 21:29 | 食生活 | Comments(0)
冒頭のタイトル、ご存知の方がみえるかわかりませんが、これは故人となられた永六輔氏の残した言葉です。

私は今日、この言葉を思い出す場面が有ったのです。

現在、台北で語学の勉強をしている身なのですが、今日は言語交換に付き合ってくれる台湾人の方と会って、いろいろ教えてもらいました。
私は彼に、どうしてこんなに親切に自分の時間を使ってまで相手をしてくれるのか?と聞きました。
彼の答えは、自分が日本にいた時、親切な日本人の方にとても親切に教えてもらったからだと言いました。

正しく、彼は永六輔氏が残した言葉通りのことを実践されていたのです。

永六輔氏の言葉はまだ続きます。


"生きているということは、誰かに借りを作ること 
生きているということは、その借りを返してゆくこと
誰かにそうして貰ったように、誰かにそうしてあげよう 
人は一人では生きてゆけない
誰も一人では歩いてゆけない"


ダイヤモンドオンラインより

ひろゆきが語る「日本人のゆがんだ価値観」ワースト2


日本人が海外からどう見られているか。
おそらく多くの人は気になっていることでしょう。
よく言われる話に、「震災のときに行列をつくって並んだこと」などが日本人の美徳のように語られます。

 たしかに、日本人は暴動やパニックが起こりにくい性質の人たちかもしれません。

 しかし、それは良い部分だけではありません。
「同調圧力に弱い」という見方もできます。

 暴動やパニックが起こらないのは、みんなが「目立つことが恥ずかしい」と思っているからだという側面があります。
つまり、心の中の焦りや不安を他の人に見せないように振舞っているのです。
他人の目を必要以上に怖がっているのかもしれません。

 そのデメリットとして、街で倒れている人をすぐに助けることをしなかったり、道で困っている人を見て見ぬフリをするような面も持ち合わせています。
学校などでイジメが起こったときに、その人を助けると今度は自分がイジめられる番になるときの「あの恐怖」に似ています。

 日本人の他人の目を気にしすぎるクセは、なんとか「良いことをおこなうときには発動しないようにならないものかな」と思いますが、難しいのでしょうかね……。



⇧の記事よりチョイス

「見知らぬ他人」には声をかけない日本人


アメリカ・ニューヨークで子どもを産んだ私は、エレベーターのない地下鉄の駅で、何度となく見知らぬ人にベビーカーの上げ下げを手伝ってもらいました。
「May I help you? (手伝いましょうか?)」
と通りがかりの人がごく自然に声をかけてくれ、本当にありがたかったのを覚えています。
重い荷物を上げ下げするときも同様でした。
「困っている人がいたら、助けてあげる」という当たり前のことを当たり前にしてくれる人が大勢いたわけです。

「日本人は見知らぬ他人に冷たい」のではないか
こんな印象をずっともっていたわけですが、先日、ネットに、
「駅で困っているベビーカーの女性を助けず、素通りする人たち」という記事
がありました。
筆者の方は「街中で困っている人に声をかけ、駅の階段でベビーカーを運ぼうとしているママがいたら手を貸すといったことが自然にできるようになった」としたうえで、
「もうちょっと気軽に、誰もが助けたり、助けられたり、できないものだろうか」
と問いかけていたのです。

意外にもコメント欄が反対意見であふれかえっていたのに驚かされました。
主な意見は、次のようなものでした。
①事故などあったら、責任問題になり、損害賠償など要求される。リスクが怖い。
②助けてもらって当たり前、礼も言わないという態度が嫌だ。
③拒絶されたり、嫌がられたりするケースが多い。
④声をかけたら、不審がられるのではないかと気を遣ってしまう。
⑤そもそも困るのなら、電車に乗るべきではない。
⑥だっこひもを使うなど、自分で対処すべき。

⇧これらは人助けをやろうとしない言い訳にしか思えません。
私は台北で何人もの台湾人に、様々な場面で助けてもらいました。
彼らはこのようなコメント内容は、頭の隅にもないと思います。
日本人だけじゃないですかね、このような人助けしない理由を述べるのは。
実に恥ずかしいことです。

『私は元教師で、障害をもった子どもの教育にも携わった経験もあるので、何かお手伝いできることがあったら言ってくださいね』と声をかけた。
するとマンションの管理組合から、『知らない人には話しかけないでほしい』と通達がきた」というのです。
「人の役に立てることはないか」と勇気を振り絞って声をかけただけに、不審者のような扱われ方に心底、絶望していました。
何しろ「自己責任」と「迷惑」の国「人様に迷惑をかけてはいけない」「自分で責任を取れ」「誰かに頼るな」ということを刷り込まれ、人の厚意を素直に受け取ることができない人も少なくないようです。

一方で、実際に拒絶された経験はなくても、
「声をかけるのは迷惑に違いない」「断られるのは嫌だ」と思い込み、声をかけられない人も多いように感じます。
日本人の「極端なリスク回避志向」が、行動を思いとどまらせている
側面はあるでしょう。

大手旅行サイトExpediaの調査では、
飛行機の中で、頭上の棚に荷物を入れるのを手伝う人の割合は、日本人は24%と世界最低でした。
オーストラリアやドイツ、スイス、オーストリア、アメリカはほぼ半数の人が手伝うと回答していたのとは対照的です。

そもそも、日本人は他人とはあまり関わりたくない「他人恐怖症」なのではないかと考えさせられることがよくあります。
機内で知らない人に話しかける割合は、日本人はたった15%で、堂々のワースト1位でした。
トップのインド(60%)、メキシコ(59%)、ブラジル(51%)、タイ(47%)、スペイン(46%)と比べてもその差は歴然です。
一方で、機内の迷惑行為に対して、何も言わずに黙っていると答えた人の割合は、日本人では39%と、世界一「我慢強い」一面も明らかになりました。
言いたいことが何も言えない四方八方、気を遣いすぎて生きづらい

「家族や親友、同じ職場の仲間のような『強いネットワーク(強い紐帯)』よりも、
知り合い程度の『弱いネットワーク(弱い紐帯)』が価値ある情報伝達には重要である」

という社会学の理論なのですが、
「ちょっとした声を掛けあえる関係性」が、これからの時代は大切だ
ということです。

「小さなつながり」が「誰かの生きる力」になる

「自分の存在を認め、手を差し伸べようとしてくれる人がいる」――
「何気ない会話」や「小さなつながり」の中で、
そう確認するだけで、心癒やされたり、
励まされたりする人も少なくない
はずです。

「何かお手伝いすることはありませんか?」
「ありがとうございます」。
そんなみなさんの一言が「誰かの生きる力」になることもある。


私は⇧の岡本さんの話は、永六輔氏と共通しているなと感じました。

永さんはきっと、日本人の他人と距離を置く、冷たい一面を痛感して、
あのような言葉を残されたのだと思います。



⇧の記事よりチョイス

困ったことに、日本人は「公助」による人助けについても、他国に比べれば冷淡な態度をとる人が多い。
ISSPが35カ国を対象に2016年に実施した「政府の役割」調査3によると、
日本は他国に比べると、社会保障の充実を「政府の責任」だと考える者の割合が少ないことが明らかとなっている。


日本は、「共助」も「公助」も控えめで良い、と考える世界でも稀な国である。
自分は寄付・ボランティア(共助)も税金(公助)も負担したくない、
失業や貧困などで困っている人は自分の力でなんとかすべきだ。
このように、「自助」と自己責任を強調するのが日本人の特徴と言える。


確かに日本人は、家族・友人・同僚という「内輪」には優しいのかもしれない。
しかし、「内輪」の範囲を超えた他者に対しては、結構冷たいのである。
国際比較の観点からは、そんな日本人の意外な姿が浮かび上がってくる。


日本人は投票以外の政治参加に対して、とりわけ強い忌避意識をもつことが知られている4
選挙活動を手伝うこと、陳情、署名活動、デモなどの抗議活動など、投票以外の形態で政治に関わることを極力避ける、
自分以外の他者がそれらの政治参加にコミットすることにもあまり良いイメージを抱かない

そういった政治参加の有効性を疑う、といった傾向が見られる。


政治全般に対する関心が高まるほど、
NPO・市民活動に「関わりたくない」と答える確率は低くなる

同様に、
公的機関(政治家・中央省庁・自衛隊・裁判所・地方自治体)への信頼度が高まるほど、
NPO・市民活動に「関わりたくない」と答える確率は低くなる

政治への関心や公的機関への信頼度は、それらの「共助」活動にも有意な影響を与えている。


⇧これは、政治への関心の高さは、市民活動への関心も高いということです。

 政治家などに対する信頼度の高さは、共助(互いに助け合うこと)の意識も高いということです。


政治に対して不信感をもち、政治から距離を取りたがる人ほど、
NPO・自治会・寄付・ボランティアなどの「共助」活動からも遠ざかろうとする傾向が確認できる。
そこからうかがえるのは、「政治嫌い」が「共助嫌い」を助長してしまっている可能性である。
政治によって毀損されてしまった「公共」のイメージが、「新しい公共」である「共助」活動にも投影されてしまっている恐れがある。


根深い「政治嫌い」の文化を克服することなしに、多くの日本人が「共助」活動に抵抗感をもたずに喜んで参加する、という変化は起きにくいと考えられるからだ。


私はこの坂本さんの、政治嫌いが、人助けの共助社会に繋がりにくいという話を、以前スイス人女性が話していたのを覚えています。
全くその通りに思います。



⇧の記事よりチョイス

出る杭を徹底的に叩く日本人の性分


事件や事故に巻き込まれた人が「自己責任」と叩かれることは日本では珍しくありません。
「変わったことをする日本人」を叩くというのは日本ではよく見られる現象です。
その根底には「普通の日本人はしない『変わったこと』をあなたはしたのだから、不幸に見舞われても自己責任」という考えがあります。
そうでなくても「自己責任論」が強い日本の場合、
マジョリティー側にいる人間は「自分たちとは違う行動をするから、彼らは感染した」と考える傾向があり、前述のような政治家の発言は日本の「自己責任」の風潮にますます拍車をかけています。

他人に厳しくしていると、まわりまわって自分の首を絞めることになるので、
「自己責任」という言葉の使用もほどほどにしておきたいものです。




私もこれから日本は外国人、それもホワイトカラーでない外国人に対し、偏見差別が激しくなっていくだろうと予想する。



私は太平洋戦争時代を知らない世代だが、その時代に親を亡くした
”戦争孤児”に対して非常に世間が冷たく厳しかったことを知り、

日本人の本質をそこで理解しました。

その当時と同じように、他人にとても手厳しい社会になっていくでしょう。

当時の日本人と本質は少しも変わっていないと思えるから。

学校教育がそもそも軍隊式であり、豊かな情緒を育む教育とは真逆に思っているからです。


日本の教育現場で、”他者の靴を履く”、自ら進んで他者の靴を履いてみるという、他者の立場になって物事を考えてみる。

いわゆる「想像力」、「共感力」を育むことを怠ってきたツケなんじゃないでしょうか?



今一度かみしめて欲しい。
永六輔氏の残した言葉を。

# by kamosiya | 2024-03-02 22:47 | ひとり言 | Comments(0)
まずは小幡績さんの記事から。


⇧の記事よりチョイス

「株式市場はバブルの真っただ中」にある


 株がバブルであるという「5つの証拠」

第1に、乱高下を繰り返している。
第2に、上がり方が急激である。
第3に、取引高が急増している。
第4に、先物主導である。
第5に、史上最高値更新だけが焦点になっている。
つまり、理屈抜きに、史上最高値更新か否かだけが焦点になってせめぎ合いが行われた。
これはバブル以外の何物でもない。


⇧の記事よりチョイス

「バブル崩壊→救済→救済バブル崩壊→救済」の繰り返し


次にバブルが崩壊したらどうなるのか

本来であれば、今回のバブル循環はリーマンショックで終わっていたはずだった。
それを政策で延命を続け、さらにバブルを膨らませた。
だから、崩壊はより大規模なものになる。

バブルが膨らむ理由はバブルとなっている市場に資金が流入しすぎるからだが、現在は株式市場だけでなく、それ以上に国債市場がバブルとなっている。
さらに、それを支えているのが中央銀行という戦争以外の状況では、前代未聞の、中央銀行が世界に誕生して初めての世界的な「中央銀行バブル」である。

これらが崩壊するわけだから、株式市場の暴落にとどまらず、国債が暴落し、中央銀行や国家財政が危機となる、21世紀に入ってからでは最大のバブル崩壊となるだろう。

私は小幡氏の意見に同意する。
80年台のバブル期は、企業がイケイケゴーゴーで勢いがあった、けれど今の日本企業にその勢いは全く無い。
「円安」によって、日本の製品が海外で買い求めやすくなった、お買い得になった為に日本製品が売れているわけで、80年台の頃とは全然違うのです。
はっきり言って、強気でクレイジーな投機家たちが日本株を高値にしていると思っている。
彼らがいつ大量に株を売り抜くのか、その日が大暴落する日になると思う。



⇧の記事よりチョイス

物価高・円安・上がらぬ給料が「旅行」に与えた影響


なぜ、日本人は海外旅行に出なくなったのか? 

その理由は、いたってシンプルだ。
日本人に、経済的余裕がなくなったからである。
世界的なインフレによる物価高騰、それに拍車をかける円安、いくら働いても上がらない給料──そんななかで、一般の日本人は、海外旅行に回すおカネが拠出できなくなったのだ。


とくに、エネルギー価格の高騰による航空券の燃油サーチャージ価格の高止まりの影響は大きい。
しかも、円安は「安いニッポン」を際立たせる。
1ドルが100円だったときと比べれば、1ドル150円では、旅行費用は単純に1.5倍かかる。そ
れに輪をかけるのが、海外の物価高である。

日本の安い物価に慣れていると、海外に行った場合、あらゆるものの高さに驚く。
日本でいう「100均」とは名ばかりで、日本と同じ製品が2〜3倍はする。
ダイソーはバンコクやクアランルンプールにもあるが、いずれも「100均」ではない。

ハワイなら4泊の概算で、ホノルル往復航空券が20万円、ミドルクラスホテル4泊で15万円とすれば、その予算で、石垣島や宮古島なら往復航空券が5万円ほどだから、1泊10万円の高級リゾートやヴィラに4泊できてしまう。
それに、石垣島や宮古島のビーチは、ハワイ以上だ。
こうして、時代は逆戻りし、海外旅行は日本人にとってふたたび“高嶺の花”となった。

海外旅行が“高嶺の花”になってしまったのも、海外での日本の存在感が薄れているのも、日本経済が衰退を続けているからだ。
いまの日本経済を見ていると、海外旅行が大ブームになった1980年代の半分の実力しかない。

ところが、日本政府にはその実感がない。
岸田文雄首相は、相変わらず、無用な外交を続け、日本がいまも「大国」であるかのように振舞っている。
しかし、どう見ても日本は「先進転落国」であり、他国を援助する余裕などない。

こんな状況を海外から見ている日本人たちが、口をそろえて言うのは、
「日本は自滅しようとしているのか」「このまま行くところまで行かないと目が覚めないだろう」
である。

日本の状況を見かぎって、海外に出た富裕層、エリート、有為な若者たちは、じつはかなりの数に上っている。

そういう人たちに海外で会って話してみると、言うことはほとんど同じだ。

そればかりか、最近は、「もう本当に危ないのではないか。

猶予はあと2、3年かもしれない」と言う人間もいる。


私は上の記事とほぼ同じ意見です。

私には能力が有るとは思えない、“利権"にしがみつくだけの自民党政権と官僚や、
変われない変わろうとしない日本の企業が現状維持にしがみつき、
保身しか考えず、失敗を嫌って「円安」誘導で辛うじて食いつなぎ、
ついにガラパゴス化して身動きが取れず、衰退していくように思います。

私はとても心配しています。
海外にいるからよくわかる、日本の衰退ぶりが。


⇧の記事よりチョイス
日本の労働者の収入ジニ係数はアメリカよりも高い。
こうした収入格差は、子ども世代の教育格差にも転化する。
高校生の大学進学志望率は家庭の年収ときれいに相関し、都市と地方の違いも大きい。
当人の能力よりも強く影響していると思えるほどだ。

こうした不平等の現実を、国民はどれほど意識しているか。
福祉が充実していて大学の学費が無償の北欧で、家庭環境による不平等への認識が低いのは分かる。
だが日本は違う。
国の教育費支出が少ないこともあってか、大学の学費は高額で、家庭の収入による「進学格差」もはっきりしている。
それにもかかわらず、
不平等の自覚度は高くない。

日本は公的な教育支援が少ない(家計の負担割合が高い)にもかかわらず、家庭環境による格差への認識が薄い。
成功しない、貧しいのは個人の努力不足のためと考える「ガンバリズム」によって、現実の不平等がたくみに隠蔽されている。
為政者にとっては都合のいいことだ。

そうですね、為政者=政権を維持する人たちが、
一般庶民各々の努力や能力がないから、しょうがないと思わせている。
日本に蔓延している不思議な「自己責任論」のせい。

曾て羽生田さんが言ってましたよね、身の丈に合った学校を受験するようにと。
自分が恵まれた環境にあって大学で勉強できた人ですよね?
そんな自分のことを棚に上げて、身の丈に合った学校を受験しろなんて、かなり一般庶民をバカにしている。

今の政治屋さんたちは、相当ズレている。
国力とは軍事力にあらず。
武器をいっぱい揃えたところで、一般庶民の生活は楽になり、なんの心配もなく安定したものになると思いますか?
武器を買い揃えるのは、国民を守るという名目で、アメリカ政府を喜ばせているだけですよね?

日々の生活がどんどん苦しくなってきているのに、それに対し政治屋も官僚も何も手を打たず、経済的に余裕のない家庭は子供の教育にお金をかけられない、ボンボンの羽生田さんや安倍さんとは違うのです。

どこの国でも、国民の教育に対し政府は巨額の予算を出している。
そうしないのは日本と韓国くらいです。

経済の底上げを望むのなら、当然教育や研究費を惜しむべきではありません。
それこそが国力の礎になるのだから。

ここ台湾では子供を宝物のように大事にしているし、教育にも力を入れている。
それに比べ日本はどうですか?
大人達は子供を管理し、安心できる居場所を奪っている。
成人の年齢を引き下げたのは、対象になる彼らの為ではない。
彼らを金儲けの対象にしたい企業のためだ。
そんな思惑に気づいている人はどれくらいいるのでしょうか?

台湾の子供や学生は、日本の子供や学生よりも積極的で活気があり、周りの大人たちも関心をもって関わっている。
どちらかというと、台湾人は日本人よりも人情味があり、世話好きであり、日本社会の他人に対する冷たさと真逆に思えます。
私も台湾で過ごしていて、どれだけの人に助けてもらったかしれません。
日本でそういう人は稀でしょうね。

経済的に余裕がなくなってくると、心の余裕も失われていく。
そうなったら、ますます日本人は不寛容となって、他人に厳しい人や偏見差別が増えていく気がします。

戦前のように、国民を政権が不安を煽って戦争に駆り立てるようなことになりはしないかととても気になっています。

例え、この先、暴落が起こっても、冷静になって深く物事を考え、政治屋や専門家などが語ることを、疑うことなく鵜呑みにするようなことだけはしてほしくありません。
彼らは自分たちの都合と、アメリカや大企業のために政治をする。
決して一般庶民のために政をすることはないのだから。

# by kamosiya | 2024-02-24 22:48 | ひとり言 | Comments(0)
持てる、持てないというのは、もちろん”お金”と”時間”、その他もろもろ。
つまり、格差がどんどん広がっているという実感を持たざるを得ない。

私は台北の私立大学の言語センターの生徒という立場ですが、日本から学生さんらが多く来ます。
提携大学から、交換留学などがほとんどですね。
彼らを見ていると、本当にお金のことあまり気にしていない。
もちろん、学費、生活費全てを彼らの両親が工面しているからです。
言い方が違うかな、お金の工面ができる親の学生ばかり。

私は彼らの年代の頃、バブル期であったにもかかわらず、親は私の進学に反対し金を稼ぐことを望んだ。
今思えば、親を説得してでも進学しておくべきだった。
現在の私は誰からの援助も受けてはおらず、しかも無収入であるため、彼らのようにはいかない。
彼らは毎回そこそこの価格の飲料を買い、口コミで評判の良いお店に行っては美味しいものを堪能する。
それが悪いわけじゃないですよ、ただ彼らは自分たちがとても恵まれていることに、まるで気づいていないのである。

日本では、実態は高利貸しの学生支援機構の学生ローンである”奨学金”を借り、アルバイトまでしてカツカツの大学生活を送る学生は少なくない。
生まれた環境が違うだけで、これだけの差があることに、悲しさともどかしさを感じています。


ちょっと書籍の宣伝になってしまうけれど、
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じつは、日本人はコロナ禍以前から移動しなくなっていることをご存知だろうか。
具体的には、移動が減るとはどういうことなのか?

『移動できる者』と『できない者』の二極化が進んでいる。
移動の機会の減少は、それまでの人間関係を変え、ちがう自分になる可能性を奪う。

私もそう思います。
でも、増えない収入と物価高によって、国内旅行さえ満足に行けない人が少なくない。
そういう私も台湾にはいても、台北から離れて旅をする余裕などない。
毎日、節約の文字が頭にあります。


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海外旅行で、豪遊や買い物三昧。今の日本人にとって、もはや過去の話だ。
現地へいざ行くと、数年前より明らかに割高感ある国・地域が増えた。
逆に、近ごろ一時帰国した在外邦人らから「日本はなにもかも安い」との声も聞かれる。
値上げラッシュが相次ぐ日本国内だが、それでもまだ「全然安い」という。


筆者は昨秋から今年にかけ、アメリカ、ヨーロッパ、東南アジアをそれぞれ訪れた。
いずれの国・地域でも、コロナ禍の前から物価上昇を感じてはいたものの、さらに「円安」「インフレ」も合わせて「日本が貧しくなってきている」のを現地で実感させられた。


当時それより驚いたのが、ハンバーガー店に貼ってあったアルバイトの求人だ。
時給17.95ドル~20.75ドル、各種健康保険、有給休暇、食事無料付きなどとあった。
当時で約2000円以上、今だと約2800円だ。
ちなみに、日本で最も高い東京都でも最低賃金は時給1041円である。


続いて、アジア。
筆者は2022年6月にシンガポールを訪れた。最も感じた物価高はホテル代金。

1シンガポールドル(SGD)=86円ほどの感覚だったが、今回は円安につき1SGD=100円換算だった。

西ヨーロッパはもはや「別世界」、現地在住者も悲鳴
イタリアから先日一時帰国した知人は、外食や買い物のたびに「日本は安い」としきりに話していた。
「日本で1000円以下のランチセットは、イタリアだと20ユーロ(約2700円)前後します。
安い部類のピザ1枚でも観光地だと7~8ユーロ(約1100円)ほどし、ドリンクやテーブルチャージも加わる。
バールでランチをしても10ユーロ(約1350円)で済まなくなってきています」とのこと。


世界各国の物価や通貨の価値などを比べるのに便利な経済指針が、マクドナルドのハンバーガー価格で比較する「ビッグマック指数」だ。
英国の経済誌『エコノミスト』が1986年に考案して毎年2回公表する。


ビッグマックは、日本ではここ数年「390円」で価格据え置き。
一方、アメリカやユーロ圏、シンガポールなどは、円安も合わせて割高感がどんどん大きくなっている。
アメリカの場合、2019年1月は600円ちょっとだったのが、現在は785円ほどと日本のほぼ倍だ。つまり、日本円は、先進国通貨の中では最も安い。
実はタイ、ブラジル、韓国、中国といった新興国より日本円の価値がすでに低水準となっている。

独立行政法人 労働政策研究・研修機構が発表する「世界の統計」での「消費者物価指数」を見ると、日本の物価もここ数ヶ月で上昇が顕著となっている。
ただ
かつて新興国で、日本人が大いに豪遊していたのを、複雑な気持ちで眺めていたであろう現地の人々。
それをまさに日本人が、日本で味わう日が刻々と近づいているかもしれない。
それでも他の国々よりまだ安いのもよくわかる。

海外がいくら高くとも「日本国内にしかいないから関係ない」と思うかもしれない。
しかし、そうでもない事態が近い将来に起ころうとしている。

5月半ば、ニューヨークから東京へ一時帰国した日本人は「すべてが3割引きな気分でした」と話していた。
これは今後、訪日する外国人旅行客にも当てはまる。
日本人は賃金が上がらないうえに値上げラッシュで生活が苦しくなる一方、日本で「爆買い」する外国人。

かつて新興国で、日本人が大いに豪遊していたのを、複雑な気持ちで眺めていたであろう現地の人々。
それをまさに日本人が、日本で味わう日が刻々と近づいているかもしれない。



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物価は上昇しているのに、給与が増えない日本

購買力が維持できなくなれば、経済成長は止まり、日本の経済力はますます低下していく。一段と円安が進めば、円建ての株価や不動産はまだまだ上昇する可能性がある。
だが、円安で輸入物価の上昇に再び火がつけば、資産価格の上昇に何の恩恵も受けない庶民の生活は一段と厳しさを増すことになる。




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金利が低ければ収益性の低い投資が行われる。
また、財政資金の調達が容易になるので、必要性の疑わしい財政支出がなされる。
その結果、資源の無駄遣いが生じ、長期的に見た日本経済のパフォーマンスに負の影響を及ぼす。
また、日本の金利が世界的に見て(特にアメリカの金利に比べて)低すぎることは、過度の円安をもたらし、物価の上昇や、日本の国際的地位の急速な下落などさまざまな問題をもたらした。

2024年には、アメリカのFRB(連邦準備制度理事会)による金利の引き上げが終わり、場合によっては引き下げの過程に入る。
これに加えて日本が長期金利の抑制策をやめれば、日米間の金利差が縮小する。

この結果、これまで数年間にわたって続いてきた異常な円安が終わる可能性がある。
場合によっては、急激な円高に転じる可能性もある。

日本経済の長期的パフォーマンスにとって望ましいことだ。
しかし、
短期的には多くの問題をもたらす。
とりわけ、企業の収益に対して、大きなマイナスの影響があるだろう。
それを恐れて、金融正常化が遅れる可能性がある。

金利が上昇すれば、国債による財政資金調達は、より困難になる
(2024年度予算において、国債の利払い費の想定金利は、2023年度の1.1%から1.9%に引き上げられる)。
日本経済が衰退した基本的な原因は、このような短期的効果だけが考慮され、過度の金融緩和が長期的な経済の生産性に与える負の影響を無視されてきたことである。
そうした政策が20年、30年の長きにわたって続いたために、日本経済はここまで弱体化したのだ。

なお、日銀は、これまでの金融緩和の過程で大量の国債を購入し続けた。
その結果、国庫短期証券を除く国債・財投債の日銀の保有比率は、2023年9月末で53.86%という異常な事態になっている(2023年7―9月期の資金循環統計による)。
この状態で長期金利が上昇すれば、巨額の国債評価損が発生する。
実際、2023年4〜9月期決算では、日銀が保有する国債の含み損は9月末時点で10兆5000億円となっている。

もう一つ重要なのは、日銀が巨額のETFを保有しているという事実である。
このような政策は、中央銀行としては、きわめて異例のものであり、OECDの対日政策審査で強い批判の対象となった。
ETFの購入を停止し、残高を減らす(できれば、すべて売却する)ことが必要だ。


私がオレンジ色にした部分、アメリカの金利引き上げが終わり、日本の金利抑制政策を止めれば、「円安」がおわり「円高」になるというのは、非常に楽観的な意見に私は思う。

台北で買い物をしていると、私の出身地の愛知県の方がまだまだ価格が安いなと思わずにはいられない。
台北はほぼ東京都と同じくらいの物価に思う。

5年前にも台北に来ているが、その時の台湾元は3.68円、現在は4.74円。
まず実感して思ったのは、日本企業の広告が姿を消したことだ。
街中、空港やMRTの構内などで割と目にしていた日本企業の広告が、今はほとんどない。
見かけるのはTVCMくらいかな。
正直日本企業の衰退を感じないわけにいかない。

このままいくと、本当に貧しい日本人になっていく気がしてきます。
そうなると、アメリカの格差が他人事に思えなくなってきます。


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「過酷な米国の医療保険事情」について
米国は良くも悪くも貧富の差を受け入れた合理的な国です。
貧富の差が医療の質に直結し、病気になって一番心配するのは体よりもお金のこと、と患者さんは言います。
お金がないために受けたい治療や必要な手術を受けられない患者さんもいるのです。
本日は過酷な米国の医療保険事情についてお話しします。

例えば、一般的に簡単とされる急性虫垂炎の手術を受け1泊入院しただけでも、3万5000~4万5000ドル(約500万~650万円)は最低かかります。
米国の年間医療費支出総額は4兆2000億ドル(約600兆円)を超え、世界4位の日本の6500億ドルをはるかに上回ります。

今はまだ日本の保険制度が維持できていますが、人口減少と経済の縮小化を考えると、この先もこれまで同様の保険制度が続くというのは考えられません。
それでなくても、アホノミクスによって、お金をたくさん刷ったことで金持ちと大企業は余計に儲け、そうでない者は「円安」による物価高で首を絞めつけられている。
アホノミクスによって、これまで以上に格差が拡大してしまった。
保険制度が維持できなくなれば、アメリカほどの高額医療にはならなくても、医療を受けようとする人は減るでしょうね。


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「安倍さんは『異次元の金融緩和、積極的財政出動で必ず経済成長する』と言い切った、ところが全く経済成長しなかった。で、安倍さんは僕に『どうもアベノミクスは失敗だった。田原さんどうすればいい?』と言ってきた」
失敗だったのにその政策をずっと続けたって事!?間違っていたと気づいたなら、なぜ、方向転換しなかったのか》

方向転換なんてするわけないじゃないですか、彼は最初からわかってやっているのだから。

今の自民党政権はこの格差拡大を何とかしようなどとは露ほどにも考えていない。
政権をとにかく変えないと何も変わらない、これまでよりも更に庶民の声など無視され続けると思います。
安倍さんたちの浅知恵で始まったアホノミクス、これが日本をどんどん弱体化させたのは間違いありません。


移動の機会の減少は、それまでの人間関係を変え、ちがう自分になる可能性を奪う。

若者たちよ、内向きにならず、恐れずに、
なんとかなる!っていう勢いで、
閉鎖的でいつまでも変われない変わろうとしない日本から飛び出そうよ‼

# by kamosiya | 2024-02-06 21:38 | ひとり言 | Comments(0)

麹作りに魅了され発酵食品を作り、心や身体に良いと思われることを追求して参ります。


by kamosiya su-